くもまっか日記32:苦境を変える術を学んだ

近影 MOA美術館にて



2年前に奥さんを亡くしたカナダの友人が、それはそれはつらい日々を送っていました。とても詳細に渡り彼から何度も話しを聞いて来ました。それは聞いてみればなるほど、と思う厳しい現実がたくさんありました。しかし聞くまでには一切私達の想像が及ばぬ驚くような当事者にしか分からない話ばかりでした。


彼は1年半くらいを過ぎた頃に、苦しさのあまりネットで色々な形で検索をし、同じ境遇の人のグループを見つけて入りました。それからあっと言う間に、苦しみがとても癒えた経験から、私に脳卒中後遺障害などのグループを見つけて入ることを強く勧めていました。


それらのグループはたくさん存在していることは知っていました。しかし実際に入ろうと思ったことはなく、勧められても何もしないままでいました。ある日、取りあえずネット上の情報交換グループだけには入っておこうと思い、入ってからも投稿を読むこともなく長い間が過ぎました。正直、当初は試してもいないのに端から「ダメだ」と大きく思っていました。思い込んでいたと言うより、断定していました。


音楽でいうと調律の狂っているピアノでどうやっても上手くなれないと苦しんでいる上に、ピアノ曲はショパンというひとりの作曲家の作品しかないと固く信じていて、更には誰とも接触をしないでいるウルトラカオス状態です。


口癖は「待ってろよ!ホロビッツ!! 今に追い付くから!」というアホです。

ビリヤードに置き換えたら、先生もいない上手い人もいない5点以下のスパーヘボが集まって上手くなろうとしている会で、それも真剣に全員が40点を目指している集まりです。入ろうと思いませんよね。上手くなるにはそこではない、と断定していた理由です。

ある日、長い間目を一度も通したことのなかった掲示板をふと覗いてみると、ひとたび投稿を目にした時、私の後遺症の半分は音を立てて崩れて消えたのです。

ビリヤードで言うと、取り方とか以前の問題で真っ直ぐ突けていないとか、グローブという存在を始めて知ったとか、はたまたスリーにはスリー用のキューがあるのを知らなかったとか無数の現実を初めて知る様なものです。

まさか自分がポケット用のキューでひとりでスリーをし、チョークという存在も知らずキューミスが治らないのをずっとひとりで苦しんでいる状態だったのです。


初めて目にした投稿の山は、調律やチョークの存在、モーツアルトやスリーキュー、読み進めるとスタインウェイとかフルオーブンとかいうすごい機器の存在のことが無数に書かれており、各々がそれらを知るまでの物語が書かれていました。

そして何より、それらの存在を知らず独りぼっちで悩んで震えて泣いていた日々のこともたくさん書かれていました。

どの投稿もまるで自分が書いた投稿としか思えないものでした。

私は本当にこれほどビックリし心が一気に落ち着いた日は人生でいまだかつてありません。

今も毎日の唯一の心の拠り所でこれほど直接大きなパワーになるものはありません。


灯台下暗し、初心忘れべからずとは言いますが、本当に苦境に陥ると、一刻も争う具体的な改善処置方法を見つけなくてはならず必死です。

その必死さは視野も頭も狭くします。


借金苦に陥って1円でも現金が欲しい人に「節約すれば? 仕事増やせば?」と言ってもなんの役にも立たず、すでにやっている!と返事が来るのと同じですね。しかし、完済後にはどちらもまだまだ甘かったことを認める人はほとんどではないでしょうか。

物理的に、現実的に改善や成果が急いでどうしても必要であればあるほど、盲目度が増す様に人間はどうも出来ている様です。

「稽古は道具から」と思っているので、出来上がった良い環境があり、そこに行けば前に進めるんだ。自分は環境が揃っていないので、非常に不利で難しい立場にいるんだ!と信じていたのは私だけじゃないですよね? 今も何か苦境下にいる人はのほとんどの方がそう思っている筈。

私はこの今回の機会が本当にこれが人生最大の発見とビックリになりました。ごく最近のことです。


一瞬で苦悩のすべてが消えて心が癒えたことの感動ももとより、それ以降、この大発見を日々のどんなに小さな悩めることや、やって来る苦境に即座に当てはめる様になりました。

すると解決策ではないかもしれないけど、今すぐにすべき一番大事なことには現実的にすぐ分かり悩むことはありません。

やはり物事は、やって来ていない明日より今日。今日より今。今、具体的に出来ることは何?

今、目の前にあるのに頭でっかちが邪魔してやらないこと。やっても何の不利益もないことが初めから分かっているのに「ダメだ」と決めつけてやっていない事が1つでもあるのなら、その苦境改善が出来ないのは自らが作り出しているのはどうも間違いなさそうです。これは今では断言できます。

つくづく実感しました。

そもそも苦境にいる時は何もしていないです。


ありとあらゆる出来る限りのすべてをやってみたという人には一度も会ったことがありませんし、出会ったという話も聞いたことがありません。実際、考えうる出来ることをすべてやっている人は、常に新しい手法を探しています。探し出す努力をしては、見つけてはやり、の繰り返しです。

そんなたいそうな労力をまったく使わなくても、人の話なら聞いてみる。良いと言われる本を読んでみる。考えを紙に文字に書き出してみる。「今」出来ることは無数にあり、嫌ならいつでも自由に辞められます。このとても簡単で何のリスクもない出来る無数を本当に私は全部やってみたのか? 答えは

「たったのひとつもしていない。」


頭の中だけで考えて立ち止まり勝手に正誤判断を繰り返した妄想の中では苦しいままです。

究極には思考もやめる。

生きて行くには身体を動かすしかないのです。

これは私自身が本当に苦しい後遺症の心の苦しみはゼロになり、身体症状も一瞬で改善され半減したごく最近の実話です。

心の話だけならまだしも物理的、身体面での飛躍的改善も一瞬であったわけです。

これは心理的に癒やされて身体状態が改善されたわけではありません。画期的な新しい治療法やリハビリ方法に出合って改善されたわけでもありません。すでに自分も持って知っている道具の使い方が間違っていたのです。
ジグゾーパズルのピースをひとつもなくさず、誰とも同じ数だけ持っている事実があるので、そこで自分も試行錯誤しているので、これ以上仕入れる新しいことは「絶対にない」と勝手に思い込んでいたのです。

私はジグゾーパズルのピースを合わせてひとつの絵を作るものだと知らずに、いえ、知らずに居たのではなく、箱から1ピース出してはブーメランの様に飛ばしては「戻って来ない。おかしい。」と思ってみたり、「そうだ、投げてダメなら立ててドミノみたいにしてみよう!でも上手く立たない。」と、箱から全部出してみても使い物にならない。でも「ちゃんと考えて出来る限りを尽くして次から次にやっているから大丈夫。」とカオスな自負があったので、闇から出れずに居たのです。そもそも闇にいることも知らずに。


苦境から出るのには新しい道具も環境も、新手法も何も要らないのです。


あるスポーツ選手が技術的な向上が一瞬で成される方法が何かあるのではないか? と真剣に言っていたことがあります。

どうやらそれも現実にありそうですね。

それも決して難しくなく。

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このブログは昨日フェイスブックに書いた体験談をリライトしたものです。より正確にその都度感じた気持ちを文字にしたためました。ついでに、文章の文節位置が妙な日本語に多々なるので、直して頂きました。

また、フェイスブックにコメントを書いて下さった方がシュンペーターという経済学者の「イノベーション」に例えて下さっています。ご興味のある方は検索などで少し学んでみて下さい。

難しいページばかり出て来てしまいますが、すごぉ~~~くわかり易く言うと、新技術の発明が経済の発展では「ない」と書かれているように、実例では音楽配信はCDやレコードでした。これが媒体を持たないダウンロード、配信に変わったのは「新機軸」なわけです。

「シュンペーターはイノベーションを、経済活動の中で生産手段や資源、労働力などをそれまでとは異なる仕方で新結合することと定義した」



私はこれからもイノベーターであり続けられる模索を楽しんで生きて行きたいです。

Joséphine Nidy's Official Site

世界でただ一人のオルゴールルネッサンスシンガー。その歌声は’永遠のボーイソプラノ’。スリークッションビリヤードの愛好家でもあり’歌うハスラー’として世界中のビリヤードシーンでも活躍をしている。