なんてことのない人生の一コマの覚書です。
腕が動く時に書いておこうと思います。
なんてことのない動作の連続が後遺症の改善につながるそうです。
直観的に思ったことを何でも行動にするといいそうです。
書くのは好きなので丁度いいですね。
娘が小学校5年生の時にこんな手紙を学校からもらって来ました。
「お家でお父さんやお母さん、他家族と1日に1回以上は一緒にお茶を飲む時間を作りましょう。その時間を過ごせたら、日付の下に〇印を付けて下さい。」
というお手紙でした。娘も私に渡す前から「変なの来たよ~~家には関係ないねぇ~」と言って渡しました。確かに。
我が家において、親子関係の中で「ティー」は欠かせないものです。娘が幼少の頃から「ママ、ティーしましょう」と言って来て当たり前の様に家族の団らん時間を持ち続けています。ここにケーキなぞあればお嬢様でしょうが、庶民の我が家にはケーキは滅多にありません。気まぐれで私が焼いた菓子やチーズケーキがあるくらい。ごくたまにね。
でもお茶だけでも、「どのお茶を頂こうかしらね?」と子供達と選ぶのはとても楽しく、お茶に合わせた茶器を選ぶのもこれもまた楽しい。どぉ~でもいいマグカップでガブガブと飲むのもいいかもしれませんが、せっかく時間があるのでしたら色々楽しんだ方がいいかな、と我が家では思っていて当たり前の習慣になっています。
その学校からのお手紙には、丁寧に「我が家では日常の習慣であり、ここの〇を付ける必要はありません。ティーの時間のない日々は考えられません。」と書いたのを覚えています。
娘は2歳くらいからティーという言葉を覚え、「ティーしましょう」と言うようになりました。私は幼少から「お茶魔」でそう暮らしているのですから、子供がそうなってごく自然ですよね。
私はほとんどがホームスクールだったので、10代の頃、番組最後?最初?の鬼平犯科帳を見るときには渋い日本茶を入れて座卓も揃えて見るのが習慣でした。コーヒーじゃぁ~鬼平はダメなんですよね。冬の寒い頃、石油ストーブの上のやかんで飲むお茶は美味しかったです。鬼平を見ると、釜飯の空き容器でストーブの上でラーメンを四分の一にしたのを作り、ピザ用のチーズをたっぷり入れて食べ終えると寝ていました。笑。
話はもとに。
もし我が家にティーの習慣がなかったら、親子喧嘩は10倍にはなっているではないでしょうか。大袈裟ではなく本当に。またティーの時間がなかったら、茶葉を選びに行く楽しい時間がないわけですから、笑顔も少ない家だったでしょう。
たかがティー。されどティー。
先日、彼氏にはティーの習慣がないそうで「お嫁に行ったら彼と新しくティーの習慣を持ってね。」と言いました。「うん!!!」と。これはなくてはならない時間です。100利あって1害ない幸せをもたらす時間です。
今日も夕食後に「ティーは何にするぅ?」と考え今日は緑茶にまとまりました。食事が豚味噌焼きだったので。緑茶はここ数年はもう深川茶しか飲みません。だから風邪引かないのかも!!?しかも味も安い深川茶でも超美味しい!
たいていは決まっていて、コーヒーはイリーコーヒー、紅茶はウバ、あとは「ひしわ」という京都のお茶屋さんの三年番茶など。たまに新人が入って来ては消えです。
家族とのティーの時間は寝るとか食べるとか、省くことの出来ない位置にあります。
ティーのお陰で、話しずらい本来喧嘩になる様な話もスムースに出来ることが多いです。
娘とベッドがピッタリ隣同士の時があり、寝る前のベッドティーも毎日のことなのにワクワクする時間でした。寝る時間が楽しくて仕方ありませんでした。
今はお部屋の大掃除中で断捨離が続いているのでなかなか一緒に寝られません。早く終わらないかなぁ、、と思っています。
ちょっとティーをしてみませんか?
0コメント