くもまっか日記8 『強制わいせつ罪の被害者になって』
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The diary of a subarachnoid hemorrhage;vol:8 .
私自身も強制わいせつ罪の被害者で、つい先日の10月末に犯人からの報復を恐れて、すべての家財道具と私物をたった一日で業者さんに処分をしてもらい、最小限の車に詰めるだけの荷物だけを持って東京の小さな団地の自宅に6年振りに戻りました。
コツコツ揃えたグラスもお皿も、ゲスト用のベッドも何もかも自分の持っている物全てを一日で失うのです。想像が出来ますか? .
こちらの記事の方にもどうか、どうか署名をよろしくお願いします。
私の場合は、犯行自体は近所に住む若い男性からでした。共通の知人の誕生会で何度も胸を鷲掴みに触られるといったものでした。何度嫌がって怒っても隙を見ては誕生会中に繰り返しました。お互い近所の焼き鳥屋さんではよく顔を合わせている仲で、誕生会会場もその焼き鳥屋さんでした。
その後もわいせつ電話などの行為が一年の間にしばし続きました。共通の知人や焼き鳥屋さんのママさんを介し、こっぴどく怒られても尚しばしくり返し、それら一連の行為により、 私だけならず、家族全員が徐々に健康も仕事もそして家も、財産の多くを失いました。
特に愛する娘が日々精神や神経衰弱をして行く様を目の前で見ながら、さらには脱毛症状も起きた時には、今でも本当に思い返しても胸が張り裂けそうです。娘は東京に逃げて来て数日後に、下血をも起こすのです。座っていた座布団に衣服を通過し、血が真っ赤に! 私は気が狂ってしまいそうになるほど、胸が痛いのと同時にあてどころのない悲しみに襲われました。とてもその時の気持ちは言葉で表現出来ません。でも母として娘が過剰に怖がらないように、明るく笑顔で焦らず「病院に行こうね。痛くないのね。だったら大丈夫だよ♪」と今日までアカデミー賞ものの演技で過ごして来ています。現在は最近やっと下血も止まり、普通に過ごせています。
これらの詳細は、実際に同じように被害に遭った人でないと本当にわかり得ない、皆さんの想像を超えた現実があります。
犯人は警察から私たち家族が現在この様な状態に陥っていることを詳細に聞かされても、わいせつ行為については否認をしている最中です。
しかし警察に 被害届を出す寸前まで、彼は全面的に犯行自体は認めていたのです。ところが警察の事情聴取では覆してしまったのです。 また犯人が犯行を認めていることを、実際に目の前で確かめている最も重要な証言者となる筈だった方も、私達にはいつでもその事実を警察へ証言すると言っていたのにも関わらず、いざ事情聴取では1から10まで『全てを偽証してしまった』のです。
誰ひとりとして犯人や偽証をした人の心理は全く理解が誰も出来なくて当然だと思います。考える必要もありません。 ただ一生、偽証をしたまま、ひとりの女性とその家族の幸せな日々を破壊し、仕事も健康も財も奪い、自分達に恋人や伴侶、家族との幸せがこの先にあるとでも思っているのでしょうか。
今日はたまたまこの署名活動の記事を目にし、私も書くべき時が来たと感じました。誰にも話せず言えず、苦しくて苦しくて仕方ないのない時も本当に長くありました。
10月23日に東京に戻って来て最低限のことが落ち着いた後、私は犯人や偽証をした人達宛に遺書を残し、本当に死のうと思ったことも何度もありました。何度も何度も思い切り何の躊躇もなく走っている車に飛び込むのですが、こういう時に限って運転手の腕がいいのか?私の動作がノロいのか?見事にどの車も上手に私を避けて轢くことはありませんでした。そして何故か、やはりどの車も「バカヤロー!」などと叫ぶこともありませんでした。
でも私は大事なことを思い出します。11月22日のコンサートです。
「そうだ、私にはお客様が待っているんだ。
新しいまだ見ぬお友達もたくさん待っているんだ。
生きなくちゃ。私は生きなくちゃいけないんだ。」
と、本当にここに書いた文字通りに、ハッと目が覚める様に思い出したのです。それで生きることは何とか出来ても、歌うことは本当につらく難しく、このコンサートを最後に、誰にも言わず黙って静かに活動を止めようと思っていました。
そしてコンサートの為に静岡入りをした翌日、現地で耐え切れない頭痛に襲われ、救急車で運ばれ「くも膜下出血」であることがすぐに分かり、そのまま入院となりました。そして22日の最後のコンサートは直ぐに中止となりました。その後病状が落ち着き、東京の病院に転院をしたところでも、何だかちょろちょろと理不尽な目に遭い、昨今ブログにも書いて来ましたが、先方がきちんと誠意を持って対応して下さっているので、今はもうまったくたったの1%も煩いとなっていません。大丈夫です。
でもこの強制わいせつ事件のことだけは、私はくもまっか出血になって命が掛かっていても、どんなに煩い事を考えない様にしても、どうしても時折私を急に襲い苦しめます。
ひとり悩んで怯えて泣いて、再くも膜下出血も心配しながら過ごすより、完全復帰の為にはやはり私にも多くの方からの応援、励まし、助けと理解、協力が本当に必要です。私にとって短くも長い人生の中で、これだけの難関が重なり苦しみから簡単に抜け出せないことは、生まれて初めてです。どんな小さなことでも構いません。理解や協力のある方からの言葉や励ましや助けを、どうかお願いします。 早く外に出たいです。早くまた心の底から笑いたいです。早くこの涙の谷間から出たいです。
普段、ほとんどの多くの時間は考えないことが出来るのですが、どうしても急にまだ襲って来ます。
またこのことについては、心に無理なく自然のままに文字にしたためられる日がまたやって来たら、いつでも続きを投稿をしたいと思います。
どんな日々を娘と送り、どうやって東京に戻って来たのか知って欲しいです。 恐さや不安がまだ大きく複雑な気持ちと重なり合ってあります。 でも今日初めて、少し書けただけでも嬉しいです。
ご心配は無用です。 だって私には、みんながいるもの!
いつも本当に、お一人お一人の皆さんに心から感謝しています。
このシェア記事の方にもどうか署名をしてあげて下さい。
どうかよろしくお願いします。
今日も本当にみんなにより素敵な日でありますように。
心から。
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