「群れ」から離れてみませんか?「投影」という心理

副題:盆誕生日暮れ正月桜GWいつもお一人様ぁ~~の勧め

☆・*:.。.ヽ(*´∇`*)ノ.。.:*・☆

もうすぐGWですね。毎日がGWの私には全然関係ないけど(笑)ここ1年、コツコツひとりでやっている荷物整理も「半分」まで片付いて来ました。


表題の通り、すべての時をひとりでお家の中で過ごしています。誰に会うこともたった一言の言葉を交わすこともない毎日なのですが、仕事上の所用の時のみに人に会ったり話したり。寂しく感じるでしょうが、以前は私の自覚の中でもそうだったのですが、昨今はそれほどでもないのです。それには理由があります。長くなりますが、お付き合い下さると嬉しいです。


孤独に耐えると言うより、過度に群れるのを徹底して辞めないと精神性の強さの低下ともちろん時間の無駄にもなってしまいます。むしろ本来人はひとりで過ごす時間の方が1日のうちで最も多いのに、群れてばかりいるとひとりになった時に非常に不安定になってしまう傾向があるのではないでしょうか。

.

何歳になってもワイワイ遊ぶのが好きな人を今日までたくさん見て来ましたが、年を取るほどに「よく遊ぶ」「遊び好き」な人ほど、非常に精神不安定に見受けられます。正直、私が出会った人の中では例外に当たる人は皆無です。常にどこかの「場」を求めていて、その自分に気が付いていません。「場」に行かないと、人といないと「つまんない」と感じたり、不安になるそうです。人と過ごす時間がどんなに充実していて楽しくても、その後、ひとりになり家にいると非常に鬱になり、理由の分からない不安定な気持ちが消えない人が多いそうです。実際、そう言っている人にもたくさん会ったことがあります。

.

これは私の中では簡単に説明が付きます。時間は有限であるので、あちこち人と接する行事なり場所などが多くの時間を占めると、もちろん自分の仕事なり何か個人でしなくてならないことや何かを研磨する時間が無くなるわけです。時間は作り出せないので「後でやれば大丈夫」と言いつつ、その時間をも「群れ」に使っているので、本当に大事なことを探求する時間を自ら失っているのです。これはストレスになりますよね。

.

もっと仕事で成功したいとか、お金が欲しいとか、カッコイイ車に乗りたいとか、痩せたいとかどんな欲を持っていても私はいいと思うのですが、お金が欲しいと言いながら、遊んでいる人(浪費)は誰にも信用されません。

.

つまり、ここで、時間を失っているだけではなく、信用も失っていて、おまけにしたいことが実現出来ないというジレンマに常に駆られていて、ストレスが溜まって当然で、鬱になるのも自然でしょう。

.

その不安を群れの中にいると、誰かが励まし「君なら出来るよ。大丈夫だよ」と何の根拠もなく言われただけで、不安がちょっと軽くなるのです。群れは不安を取り除いてくれて心地良いのです。そして群れから離れると、現実がまた襲って来て、やりたいことをやろうにも時間がない。使ってしまったのですから。すると、こんな思想に陥ります。


「俺はやれば出来るんだから。きっと出来る」と根拠なくそう言われ続けているので、自分もそう思い込んでします。自分には力があるんだ、と何の根拠も裏付けもなく。

または、持っていた目標や夢までを下げてしまう。あれほどお金が欲しい、いい車に乗りたいと言っていたのに

「俺はこれで十分幸せだ。」と。さらにはこんなことも言い出します。

「幸せは物やお金じゃない。そんな人間になりたくない。」と。笑。

.

心理作用で「投影」というのがあるのですが、お金持ちAに嫉妬している貧乏人Bが、「Aは私がお金に縛られない生活をしていることに嫉妬している」とBは思い始めて、それがBにとっては真実となって行くのです。投影はありとあらゆる感情にあり得ます。えてして認められない抑圧された自己の感情に多くみられる現象です

.

太郎さんは花子さんが好き。でも花子さんは次郎さんが好き。すると太郎さんは「花子さんは本当は俺を好きなのだけど、俺とは不釣り合いだからそこそこ合う次郎さんで妥協してるんだ」と。これも太郎さんの中では現実になってしまうのです。

.

投影自体は悪い事でも何でもなく、精神の防衛の為に自然に起る現象です。自分にとって、苦痛な感情を引き起こすような受け入れがたい観念や感情を受け流すために、無意識的にとる心理過程をいいます。

.

たとえば、今ではあまり知られていませんが、イソップ物語に出てくる「酸っぱいブドウ」の話(狐が、ブドウが欲しくて飛びついたのに、飛び上がる能力が足らずに届かなかったことを認めるのが、いやなために、「あのブドウは酸っぱいから、本当は欲しくなかったんだ」と言い訳をしたという話)が、精神防衛「合理化」の例として有名です。

自分にとって受け入れがたい感情、衝動、観念を自分のモノではないと見なして,他人やものだと見なして(ここの心理過程が、「投影」になります)、自分は安心感を得るというものです。

こんなのもあります。

.

・自分はカンニングをしたことがあるか、カンニングしたいと思ったことがある。

・後ろの席の人がテスト中に、こちらを見ているような気配があった。

・後ろの席の人は、カンニングをしたのだと思った。

というのも、投影になりますね。

これもまた、自分の気持ちを投影しただけに過ぎず、実際は憶測と妄想に過ぎないのに、本人にとっては「絶対」になってしまうのです。事実となってしまうのです。


この「投影」があまりにも多いと、ボーダーと呼ばれる人格障害や精神病となるのでしょうが、最近では精神科医もこれらの患者を扱えないそうですね。「投影」が本人にとって本当に現実で真実であるので、それが投影(嘘)なのか医師ですら分からないのです。誰にも分からないのです。

.

長くなりましたが、「群れ」にいる時間の長い人ほど、この投影が多く、本人が望んでいる何かへの向上の成果をあげたり、実を付けている人はたったの一度も経験上見たことがありません。何故なら、それを成す時間を失ってしまうのは物理的に不動の事実なのです。失った時間は後で増やせないので、取り返しも出来ません。

.

「あのブドウは酸っぱいから、本当は欲しくなかったんだ」と言っていることが、自分の投影だと認めたくなくても、認めることは案外簡単に出来ます。誰にも言う必要もないのですから、自分だけの問題です。

.

あなたの仕事なり人生なり趣味でも何でもそこをとにかく伸ばしたいこと、向上が少しでもはかれたらとか、成功、いや、大成功したいとかいう思いのある人、一杯いますよね。

事実や現実をありのままに受け入れる認識する能力の高い人ほど、そこにたけると言われています。逆に言えば、事実を歪曲し自分個人の理由付けをして、きちんと認識をしない人はダメということですね。

私が100mを9秒で走りたくてどれだけ練習をしても走れません。「事実、現実」を正しく認識出来ないので実現も成功もないわけですよね。すべての物事は同じではないでしょうか?

.

「群れ」ることは精神の充実にはなっても、具体的に目的や夢を研磨する技術向上の時間にはまったくなりません。群れを離れて、ひとり研磨する以外に向上や上達も成功もありません。世の中の偉業を成したまでの人は

全ての人がこのひとりでの研磨の時間が人一倍長い人達です。

.

投影はしたくなくても、自分にも誰にでもいつでも起こってしまいます。でも自分だけのことで誰にも言わなくていいのですから、もし、あなたが本当に何かに成功をしたい、夢や希望や成し遂げたいことがあるのでしたら、振り返ってその認識は事実なのか、イソップ童話になっているのか、自分だけの中ではきちんと判断のし直しを習慣付けない限り、一生何の向上もありません。


思うように上手く行かない、成果がない時、あなたは群れか投影の中にいませんか?何度も自問自答をするだけで、群れから少しずつ離れられる様になります。あれだけやりたかった、本当にしたかった自分のやりたいことに、時間を注げるようになって、群れなくなって行きます。


この積み重ねがやがてとんでもない歴史を変えるほどの大きな偉業となることもあるのです。とりあえず、「群れ」と「投影」を頻繁に繰り返し考えてみて下さい。余計なものが人生からなくなっていきスッキリすると思います。いや、その考えを毎日続けるだけで、何もかもが上手く行くかもしれません。それも驚くほどに。

ではGWもお一人様頑張ります~~~

誰か一緒にお寿司食べましょう~~

フリフリ((ヾ(・д・。)マタネー♪ See you soon!!


続く 次号「しないという選択」

Joséphine Nidy's Official Site

世界でただ一人のオルゴールルネッサンスシンガー。その歌声は’永遠のボーイソプラノ’。スリークッションビリヤードの愛好家でもあり’歌うハスラー’として世界中のビリヤードシーンでも活躍をしている。

0コメント

  • 1000 / 1000