図々しいほど大胆な夢を描く 序文

みなさん、こんにちは。

作者近影、といった写真がないので

近描?画を。

お変わりありませんか?

ながらくご無沙汰しております。

昨今ではブログを書くこともそうなくなりました。

たまに「これを書こう!」と思うこともあるのですが、さして自分にとっても大事ではないからいいや、とかすぐに考えて終わってしまいます。


今日はなんだか、すごい表題なのですが、ただのぼやきです。

筆のおもむくままに昨今のことを書いてみたいと思います。

もちろん、長いです。(笑)



私は家で映画をよく見るのですが、年間に少ない時で200本くらい。

長期入院とかアクシデントがまったくない年なら500本平均です。あまりにもたくさん見るので「映画感想ブログ」をすごく勧められた時があります。


ちょっとその気になって「書こうかな?」と思ったら、映画ブログには「その世界」があって、それはそれは「ものすんごい人達」が日本だけも存在しているのです。


それはご自分のただのブログ、なのですが、ウェブサイトと同じ様に独自の物に作られていて、一切の細かい私情を挟まず、「世界で一番詳しい映画サイト」を持つ人も日本に居ることを知りました。


その方のサイトに行くと、映画の中で掛かっている曲はもちろん、どうしてその曲あ使われる様になったのか?とか、たぶん、映画関係者もこの方のサイトで勉強をするのではないのかな、というほどのページなのです。


URL転載もあまり希望しておらず、するのなら、前もってご一報を下さい、という許可制度でした。そして、世界で一番詳しい映画サイトにも関わらず、ご趣味だそうです。


こういう方を見ると、世界って本当に広く、すごいなぁ、、何て素晴らしい生き方なのだろう、と思います。


もちろんどこにも誇張はないのですが、おそらく、平均的な日中の一般の仕事をしていたら、仕事以外の全ての時間をこの映画研究に注ぎ、その血と汗の結晶(いや、ほんとほんと)を映画ブログにお書きになっているのだと思います。それが、本当に楽しいのは大変よく分かります。


さて、そんなこんなで映画ブログは読み手の方がいいなぁ、と思い留まりました。そもそも映画を見て「素敵!」とか「****!!」のどちらかしか感想はなく、(笑)いかにひどい映画かをボロクソ書くくらいしか出来ない貧しい心の持ち主です。


さて、これが前置きで長くなりましたが、この前置きは本文にほとんど関係ありません。(笑)


私の日常パターンを以前から読んで下さっている方はご存知だと思うのですが、知らない方の為に。


元々病弱で田舎で療養を兼ねて簡単な自給自足暮らしをしていたり、4年前にはくも膜下出血と脳梗塞を発病し、脳に後遺症が残ってしまいました。高次脳機能障害と言います。


私とお会いしてお話しても、時間を一緒に過ごしても障害があることは分かりません。しかし、1日「生活」を共にすると、すぐに分かります。今、言葉でここにその具体的なことを書くのはとても難しいです。


「高次脳機能障害」と検索をすると、どんな障害なのか何となく理解出来ますが、実際にそれらの後遺症を持つ人を見ることは一生涯でおおよそ一度も出来ないと思います。なので、ほぼ100%に近い方が実際には理解の出来ない障害なので、人とのお付き合いはこれを境にほぼすべて途絶えてしまいました。


私の方から終止符を打ちました。とても私にとっても無理なんです。無理をどうしてもしなくちゃいけないので苦痛この上なく、大抵寝込むか入院をしなくてはいけないほど、一般の方とのお付き合いはそれくらい負担になってしまいます。これはもはやお会いする意味はないですよね。会わない方がいいですよね。


人とのお付き合いの前に、私には大変重い病気と障害があるのです。今も日々、そのリハビリ、訓練のみの日々です。この訓練は一生続くのかな、と今は思っています。


日々は単調で家の中のみで過ごしています。外に出るのは病院に行く時の車中のみかな。外を歩くことはほぼ皆無です。200m前のドラッグストアに行くとか、それくらいは普通に大丈夫です。


医療系訪問が1日おきにあり、看護師さんや先生、ヘルパーさんとの関りだけで日常が成り立っています。ここに一般の方がこの日常を「上」から見ていたとしたら、

「どこが悪いのだろう??普通じゃん??」と分からないと思います。

そう、それくらい理解に難しい障害なのです。基礎的な知識が「正確」にない限りは理解が出来ません。また、私との医学的に気を付けないといけないポイントも分かりません。


私はもう今年で丁度丸9年目の、この様に人と離れた生活を送っています。

たまに集中的に仕事をこなし、海外からヘルプの音楽の友人に来てもらって、日本ツアーをしたり、年に1,2回していましたが、それも4年前まで。くも膜下出血以前までですね。


現在は、本当に世の中の音楽シーンも、コロナで全く変わってしまい、私の様に小さなライブで生計を立てていた者にとっては、仕事先をすべて失ったわけです。

日本中の演奏家が生活の為に廃業をし、コロナになってから一般職に就職をする様になりました。「演奏業」だけを生計を立てる手段としていた音楽家にとっては、そうしざるを得ません。


お教室をやっているわけでもない、お弟子も生徒もいない。つまり、生舞台で第一線で活躍をしていた人ほど、窮地に陥ってしまったわけです。ただ、日本有数の特別な、芸能界の方と同じ様に知名度のある人は、それでも別だと思いますが、それ以外の方はおそらく、何か仕事をしない限り、生活は出来ていないと思います。


私の知っている管楽器の男性は、いつでも演奏に戻れる様にと、今のご時世で、タクシーの運転手さんになりました。タクシーの運転手さんも、仕事がなくなっているのですが、何故が始めました。奥様もパートに出る様になり、ギリギリ引っ越さないで生活は出来ているとのこと。


きっと彼らはまだ良い方で、住むところも仕事もないし、養わなくてはいけない家族がいる人はまだまだいっぱいいると思います。まったく一般職の経験がなく30年も演奏業をやって来た人達にとって、就職先なんか壊滅的にないのです。なんの経験もスキルもない人をどこの企業だって雇いませんよね。


学生の頃にイタリア、フランス、スペインなどに留学をしていた人達はかろうじて、語学の先生とか、やらないよりはやった方がいいだろう、ととにかく必死にみなさん頑張っています。


私の場合は、元からみなさんと違う土壌で、元から家から自由にひとりでは出れないという環境で仕事をして来ていたので、コロナ環境になって世の中が変わっても、正直何のリスクとも思わないし、むしろ「チャンスだ」と心底思いました。


だって、すべての人が「私と同じ環境」になったのだもの。今こそ、すべてが同等に並んだわけですよね。


私は自由な手足がないことにひとりで泣く必要もまったくなくなったのです。


まさか、数年前、丁度日本を離れて、全部支度をしてジョージアに行く時、コロナに世の中がなって来ました。まさか、その時から、こんな日が徐々に押し寄せて来ているとは、夢にも思っていませんでした。


コロナになって1年目くらいで、「もう元には戻らない」ことは確信しました。


仮にコロナが消えても、社会の立て直しは何十年も掛かりますよね。特に私達の職業は娯楽に分類されるものなので、一番手の届きずらい、最後になりがちな面が、社会からはあります。



まさか、外に出れない私の人生が、「まったく関係ない。何のリスクにもならない」日がやって来ようとは、誰が思ったことがあるでしょうか?たったのひとりもいませんよね。


このコロナによって、私の様に病気や障害を持つ人の中には、一般の健康な方と並び、自分が持っていた社会への障害が、「障害でなくなる」日が来たのです。

考えられますか?


あなたが今、手足の自由も職も失ったら、絶望の人生だと思い、社会との接点もなくなってしまい、その手足が元に戻らなかったら、どう生きて行けばいいのか悲嘆に暮れる、、、そんな生活は、たぶん今はそうないのです。本当に「心の持ちようひとつ」の時代に突入しました。


手足があって、健康な人すら、何も出来ない、新しい事も始められない時代が来たのです。むしろ私達の方が本当に有利です。何故なら、どれほどの不自由さが生きて行くのにあるかを熟知しているので、対応の幅が広いわけです。


多くの方は「すべてを奪われて失い」、少なくとも私は、「すべてのものが戻って来て、自由」になったのです。これは事実です。


「自分の人生にこんな日があるとは」

と過去に何度か思ったことがあります。

驚く様な予想外のこと、みなさんも1つや2つたぶんあるでしょう。

仕事、恋愛、結婚、などは大きいかな。


でも、身体が不自由で社会と関わりの持てなかった人達が、健康な人に並ぶ人が来るとは、「あり得ない」現実だった筈。


しかし、それが起こったのです。


先日ノーベル賞をお取りになった吉野彰氏はインタビューでこう言ったのは覚えているだろうか?


「科学の90%は嘘です。本当の嘘で確かである証拠は存在しなく、何も化学に確かなことなんてないんですよ。」


確かに。化学すら「絶対」があり得ない様に崩れて行くことがあるのは、ここ10年では一般人にも認識される様になって来ました。


法律においてはもはや「絶対」はなく、その都度変更や新しく世の中の情勢、様々な変化によって変わります。ほんの50年前の日本社会で「絶対」であった、当たり前の「常識」であって尊属殺人すら、ある少女の事件で、その後の日本を大きく変えることとなりました。

日本の「常識」が変わったのです。


その後の日本の大きな法律の変化はおそらく「不在者投票」でしょう。昨今では、もはや「法律」は通用せず、人口気管支の少女の小学校入学に、法律改正がたったの6日で施されました。法律も1週間もせずに、根本的に全面改正されることもある世の中となったのです。



私は自分の音楽人生の中で、死ぬほど泣いて、もうダメだと思いつつ、それでも音楽が止められなくて「絶対にどうにもならない」ところをずっと歩いて来ました。


その度に「嘘の様な本当の光」に遭遇をするのですが、でも身体の不自由を救う社会は、私の生きている時代では現実的には「まだやって来ない。あり得ない」と思っていたし、私に限らずすべての人がそこを考えても、「‘‘ない‘‘という現実がある」と思っていました。


今、それもまさか、覆られたのです。


私と同じ道を歩んだある日本のノーベル賞受賞者がいます。

お時間のある方はどうぞ読んで下さい。


https://bunshun.jp/articles/-/11145



今日は久々にこんな風に思いを書けて、本当に嬉しかった!

だから、「便りがないのは元気な証拠」って言うでしょう?

その通り。

私、忙しいのです。


みんなも、何事にも諦めないで欲しい。

継続した人しか結果を得られないでしょう。

これは当たり前だよね。

それが40年でも50年でも、どこまで続けるかはあなた次第。

ただ辞めたら、そこまでです。

たかが10年やそこらじゃ何にも結果が出ないのは当然。

20年だってそうさ。

死ぬまで出来るかな?

結果を得ている人は、ただ辞めなかった人なのです。

器用なわけでも、運がいいわけでも、頭がいいわけでも何でもない。


またね!!!

では「本文」こう期待!

(いつになるか分かりません。ないかも。(笑))


Your friend

Joséphine

Joséphine Nidy's Official Site

世界でただ一人のオルゴールルネッサンスシンガー。その歌声は’永遠のボーイソプラノ’。スリークッションビリヤードの愛好家でもあり’歌うハスラー’として世界中のビリヤードシーンでも活躍をしている。

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